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心響学 知識の章【にっぽんについて】 ~その⑧ やまとなでしこ (1)~







こんにちは。


心響学事務局です。


心響学 知識の章【にっぽんについて】のシリーズをお送りしています。


お読みいただき、私たちの国、日本についての理解を深めるきっかけにしていただけると嬉しいです。


今回から「やまとなでしこ」をテーマにお話をします。




「やまとなでしこ」について(1)




「やまとなでしこと聞いて、どんなイメージですか?」と聞くといろいろなお答えがあります。



「やまとなでしこ? いいですね~。素敵な女性というイメージです」


「前にCAのドラマありましたよね??」


「サッカーの、、、ほら、ナデシコジャパンのことですか?」


「日本文化をよく知っている人、着物を着ている人みたいなイメージです」


などです。






改めて「やまとなでしこ」とは何でしょう?

Wikipediaにはこのように書かれています。


やまとなでしこは日本人女性の美称である。

日本の女性の美徳や理想を表現し、日本の女性が持つとされる柔らかさ、優雅さ、強さ、そして内面の美しさを意味する。(中略)「やまとなでしこ」の女性像は、現代においても日本男性の理想とされることが多い。



そもそも、なぜ、日本の女性のことを「大和撫子」と呼ぶようになったのでしょうか?諸説あるようですが、その中のひとつをご紹介します。


日本の神話を記した「古事記」の中に素戔嗚(スサノオ)のミコトが、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した神話は有名でご存知の方も多いと思います。


素戔嗚のミコトが八岐大蛇を退治するきっかけは、足名椎(アシナヅチ)、手名椎(テナヅチ)という夫婦神の8人いる娘の中で、最後に残った末娘が八岐大蛇の生贄にされそうになっていたところを、素戔嗚が助けると申し出て退治してくれました。その末娘がのちに素戔嗚の妻となる櫛名田比売(クシナダヒメ)と呼ばれる女性です。


この櫛名田比売(くしなだひめ)を両親が「撫でるように大切に育てた」子、「撫でし子」であったことから、日本人女性のことを「大和撫子」と表現するようになったそうです。






日本女性を撫子と表した最古の和歌は、奈良時代につくられた日本最古の歌集である万葉集(759 年)にあると言われています。


万葉集の編纂者である大伴家持(おおとものやかもち)の歌にこういうものがあります。


愛(うるは)しみ

我(あ)が思(も)ふ君は なでしこが

花になそへて 見れど飽かぬかも


(意味)

「素敵なわが君は、美しく愛らしいなでしこの花のように いくら見ても見飽きることがありません。」



平安時代の古今和歌集(905 年)にも「撫子」を詠んだ歌があります。


あな恋し

今も見てしか 山がつの

かきほにさける 大和撫


(意味)

「ああ恋しい。今すぐにでも逢いたいものだ。山のふもとに住む 垣根に咲いている大和撫子のような、あの人に。」



このようにやまとなでしこは、昔から日本人の心の中に生き続けている存在なのかもしれませんね!


次回からは独断と偏見で選んだ「やまとなでしこ」を紹介していきたいと思います!


最後までお読みくださり、ありがとうございました!



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