
こんにちは。
心響学事務局です。
心響学 知識の章【にっぽんについて】のシリーズをお送りしています。
お読みいただき、私たちの国、日本についての理解を深めるきっかけにしていただけると嬉しいです。
今回も、「日本人の価値観」をテーマにお話をします。
◆日本人の価値観について
③ 美意識
日本人の美意識は自然崇拝から発生しています。
例としてヨーロッパの美意識を見てみましょう。
こちらはイタリアのミラノにある「ドゥオモ」です。

細かな細工が施されていて、高い技術力、凝ったデザインは富の象徴とされています。
また、こちらはベルサイユ宮殿の中の庭園です。

こちらもシンメトリーなデザイン、手の込んだ植栽は富と権力がある人たちが享受できるものという一種の憧憬をもたらしています。
一方で、こちらは伊勢神宮の内宮の鳥居の写真です。

日本で最も格式が高いと言われている神社はとてつもなくシンプルです。
また、こちらは世界文化遺産にも指定されている枯山水で有名な京都の龍安寺の石庭です。

この庭の石の配置などが味わい深く、そのシンプルさからか、庭を眺める人の受け取る器に委ねられている部分が多いと感じます。
日本で美しいとされているものは、西欧のような華美な装飾や対称の美しさだけが美であるとは捉えてはいません。例えば神道のお社は、簡素質素で清浄。自然と溶け込むくらい調和しています。あるがままの姿、穢れ無き姿がもっとも美しいとする感性を日本人は持っています。簡素で自然な姿に美を見出しました。
日本が発見し価値を見出した、「わびさび」の侘(わび)は静かに澄んで落ち着いた味わいのこと。寂(さび)は古いものの内側からにじみ出てくるようなもの。
この美の最大の特徴は、質素倹約でありながら、同時に美しくもあるという点。美しさを求めるのに必ずしも富を必要としないところ。王侯貴族だろうが、庶民だろうが同じように、わびさびの美を味わうことができます。決して美が上流階級だけのものではないということに日本らしさがあるのではないでしょうか。
そのうえで、日本人は立ち振る舞いや心根(こころね)の美も追求しました。
精神的に美しいとはどういうことなのか?
その基準はひとりひとりにあって、その美意識をそれぞれの人が持ち、さらに追求していくことを人生の嗜みとしていたのでは、と思います。
「心根(こころね)」の例として、第二次世界大戦の時代の特攻隊員の遺書を紹介します。
(自己犠牲の死や戦争を肯定する意図はありません。純粋に「心」を感じていただけたら嬉しいです。)

18歳の回天特攻隊員の遺書
お母さん、私は後3時間で祖国のために散っていきます。
胸は日本晴れ。 本当ですよお母さん。少しも怖くない。
しかしね、時間があったので考えてみましたら、
少し寂しくなってきました。
それは今日私が戦死する、通知が届く。
お父さんは男だからわかっていただけると思います。
が、お母さん。
お母さんは女だから、優しいから涙が出るのでありませんか。
弟や妹たちも兄ちゃんが死んだといって寂しく思うでしょうね。
お母さん。
こんなことを考えてみましたら、私も人の子。やはり寂しい。
しかしお母さん。 考えて見てください。
今日私が特攻隊で行かなければ、どうなると思いますか。
戦争はこの日本本土まで迫って、
この世の中で一番好きだった母さんが死なれるから私が行くのですよ。
母さん、今日私が特攻隊で行かなければ、
年をとられたお父さんまで、銃をとるようになりますよ。
だからね、お母さん。
今日私が戦死したからといってどうか涙だけは耐えてくださいね。
でもやっぱりだめだろうな。 お母さんは優しい人だから。
お母さん、
私はどんな敵だって怖くはありません。
私が一番怖いのは、母さんの涙です。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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