【朗読】39)『アミ3度めの約束』第1章 待ちぼうけ②
- 学 心響
- 10月12日
- 読了時間: 15分
更新日:10月15日
エンリケ・バリオス著の『アミ3度めの約束』の朗読と個人的な感想です。
【文字起こし】
(漢字表記も含め全て原文のままです)
第1章 待ちぼうけ ②
――ぼくは変わった。
いまはとても真剣に地球の、そして人類の運命を考えている。
でも、ざんねんながらこれも学校ではなく、アミに教えてもらったことだ。ぼくの魂がゆく道を照らしだした、この大きな光も、ざんねんながら地球の教えではないんだ。
かといって、“上の友だちたち”はいちいちぼくたち一人ひとりの目をさましているわけにはいかない。
それに地球では、人類の内的向上などということには、あまりにも関心がうすい。だから、よほどの大さんじでも起こらないかぎり、そしてかりに大さんじが起こったあとに生きのびられたとして、どうしてもいまとはちがった新しい世界をつくりなおさなきゃならない、ってことにでもならないかぎり、この世界がよいほうに変わるのはやさしいこととは思えない。
でもアミは、大さんじを起こすことなく変えるほうが、ずっと理想的だという。
そして、アミはそれに少しでも貢献するために、ぼくにひとつの使命をあたえた。そうしてぼくは、ぼくたちがずっと進んだ世界のひとたちみたいに生きるためにはどうしたらいいのか、ごくごく初歩的なことだけれどとってもたいせつなことについて、本を書いた。もう前にも言ったことだけど、別のもっと高い世界では、すでに“宇宙の基本法”つまり“愛”にのっとっていて、愛にみちびかれている(これもぼくの人生にさしこんだ大きな光だった――もちろん地球からじゃない)。それはとても単純明快で、すべての人々にとってより大きな幸福や、利益につながるものなんだ。
この手の話って地球では“みょうにロマンチックで、精神的”に思われがちだけど、あの光りかがやいた世界では、研究所や大学で特別に研究されているし、精神向上のための活動もさかんだ。だって、あの世界では精神性と科学とは同一のものであり、すべてが愛に依存しているということを、みんなが知っている。だけど、ここ地球では、すべての“価値”はみな株や銀行、いわゆる経済しだい……。
世界をひとつにまとめて動かしていくなんてことは、びみょうで、ふくざつで、ちょっとしたサジかげんがたいせつなんだから、だれにでもできることじゃない。だからほんとうは、すぐれた科学者とか賢者とかが世界を治めていくのが道理にかなっているんだけれども、ここ地球では、なにひとつ愛にもとづいて統治されてない。だから、ぼくたちは論理的な存在なんかじゃないんだ。
インテリな読者の中には、ぼくがいま強調したことは、ちょっとおかしい、愛と論理とは、まったくの別ものじゃないかって言う人がいるかもしれない。
にもかかわらず、ここにアミがのこした、
“愛は最高位の論理である”
という言葉がある。
でも、これはハートの叡智だけが理解できることで、ぼくたちを指揮しているえらい人たちにはまったく理解できないから、この論理が地球で適用されることもさらさらない。
ここ地球では、ほんとうにつじつまの合わないことが起こっている。それこそほんとうに非論理的なことだ。
つまり、人類の運命、ぼくたちの未来、そしてすべての宇宙の生命は市場の法にゆだねられている……というわけなんだ。
こうして、ぼくたちの美しい、そしてお金が大好きな目のくらんだ宇宙船地球号は、銀河系をゆっくりとまわっている。
どんな手を使ってでも手に入れなきゃいけない(と思いこんでいる)――お金、お金、お金!! みんなが目を血走らせて競争ばかりしてるんだ。
自分たちの実入りさえよければほかのひとたちの人生や豊かな生活、自然の保護、地球の未来なんかはどうでもいい。
ぼくたちの地球を支配しているそうした哲学の結果は、火を見るよりあきらかだよね。
大多数の人々は、幸せから遠いところにいるか、食べるものがないか、人生を楽しむ時間がない。
汚職のないところなんてないし、暴力や犯罪は増えるばかりで、研がれたつめや牙は隣人にむけられ、町には錠前や鉄格子や拳銃やかべが増え、まずしい人々と富んだひとたちの差は日ましにひろがっていっている。そしてうまみのある“ビジネス"が、ぼくたちの惑星を汚染し、破壊していく。
人類にとっての必要なものとか、深い意義はどこへいったの?ほんとうの友情とかやさしさ、親切心とか愛情はどうなったの?このまま進んでいったら、どんな未来が待ってるっていうの?
でも、考えてみると、いまぼくが言ったことって、一文の得にもならないことばっかりだ。
ここでは人々とはたんに“生産するための機械”で、“消費者”で、自然とは“商品”でしかないんだから……。
“もしあなたが、こちらに利益をもたらすなら、わたしはあなたに親切に、そしてほほえみかけましょう。でもそうでないなら、早くオレの視界から消えうせろ”……こんなふうにこのままつづけていったら、ぼくたちみんな絶滅してしまう、そしてほんとうはそんなこと、だれでもよくわかっている。でも、すべてはまったく、おなじまま……。
“ねえ、アミ、お願い。どこにいるのか知らないけれど、ぼくの頭に周波を合わせて、ぼくに会いにきて!ぼく、どうしてもビンカに会いたいんだ”
どんなに距離があっても、アミはぼくの思っていることを受信できるって知っているから、ぼくは毎晩、あの岩の上にすわり、頭(マインド)をとおしてそう彼に話しかけた。でもぜんぜんダメ。ぼくはまっ暗になるまで空を見あげながら、意識を集中してテレパシーのメッセージを送りつづけた。そうしたら、ちょっぴり悲しくなり、そして、少しこわくなり、ひょっとしてこの夏はアミはこないんじゃないかと思えて、かなり失望しながら家へ帰った。
二冊めの本『もどってきたアミ』はもう、書き終えた。それが、アミがビンカをつれて三度めにぼくに会いにくる条件だったんだ……。
ほんとうは、『アミ小さな宇宙人』も『もどってきたアミ』も、ぼくの言ったことを、いとこのビクトルが書いたものだ。彼はもう三十歳を少しすぎていて、多少、文学について知っている。でもこの新しい本は、ぼくひとりで書いている。ありがたいことに、あのすばらしい“援助”を受けてね。でも、そのことについては、あとで話すことにするよ。もうちょっとのしんぼうだよ。
そんなある晩のこと、ぼくが家に帰ると、おばあちゃんがこう言った。
「どこへ行っていたんだい?ペドゥリート」
「広場のゲームセンターだよ!」
ぼくはいつも、海岸でのあの失望的な待ちぼうけのあと、ゲームセンターに行った。
「どうして、そんなことにお金を使うんだい?家のコンピューターでおなじゲームができるのに」
「おなじじゃないよ、おばあちゃん。ひとりで家で食事するのと、だれかとレストランで食事するのおなじじゃないでしょう」(われながら、とってもいい比較がひらめいた)……。
「ウーン……ちょっとうかない顔しているけど……どうしたんだい?ペドウリート。いつも夜、家にもどってくるとそうだけど。好きな娘でもできて、なやんでいるのかい?」
まったくそのとおりだった。でも、そんなこと言えないよ。だって“好きな娘”といっても、ただの好きな娘とはわけがちがうんだ。ぼくの愛するひとは、はるか遠くはなれたところに住む宇宙人で、ぼくの永遠の恋人、双子の魂なんだ。そして彼女に会えるかどうかは、すべてアミ――彼女とはまた別の宇宙人――と彼の円盤しだいなんだ……。でも、どうしてこんなこと、おばあちゃんに言えるだろうか?それに、いとこのビクトルときたら、もっと最悪で、いつもおまえには精神療法が必要だと、ぼくをおどしている。彼の口癖はこうだ。
「ペドゥリート、おまえの頭の中はへんな空想でいっぱいだ。ほんとうによくそんなおもしろいことが、いろいろ思いつくよ。だからあの本を出版できるように手伝ってあげたんだ。でも、あれを本気にとっちゃダメだ。“あれはたんなる、く-う-そ-う、空想なんだ。現実じゃないんだよ”」
といつもうんざりするほど、何十回となくくりかえしている。
だから、おばあちゃんにはこう答えるしかなかった。
「ううん、そうじゃないよ、どうもうまくいかないんだよ、ゲームがね。二位まではいくんだけど、どうしてもトップになれないんだ。ほくのイニシャルをどうしても機械にきざみたいんだけどね……」
しかたなくうそをつくしかなかった。彼女に会えないことが、ほんとうの原因だなんて言えない。
正直に言うと、ぼくのイニシャルは、村のゲームセンターのどの機械の画面にも出ていなかった。たしかに、毎日ゲームセンターに通ってはいたけど、この夏は練習不足が原因で、ぼくのうでは少しもあがらなかった。ひょっとしたら、円盤が……と思って、大部分の時間は、あの岩場ですごしたからなんだ。
「どんなにか、ゲームセンターのおじさんたちが笑っていることだろうよ、そのゲームのトップの子たちをね」
「どうして?おばあちゃん」
「だって、いちばんのおバカさんだからね」
「エッ!?……とんでもないよ、その正反対だ」
でも、おばあちゃんはぼくの言うことを聞こうとしないで、
「“このイニシャルがいちばんバカな子の、これが二番めにバカな子の”ってね。画面を見ながら、おじさんたちはきっと言っているよ」
「でも、おばあちゃん、おばあちゃんはゲームのこと知らないで話しているよ。トップになって、自分のイニシャルをあそこにきさむのは、なみたいていのことじゃないんだ。それはもう、おおいに自慢できることなんだよ」
「自慢だって?なんの自慢だい?いちばんバカだって証眠してみせて、笑われることがかい?」
「ウウ……」
「ちゃんと知っているんだよ、おじさんたちは。だれがいちばん、バカかってことをね。いちばんになるために湯水のようにお金を使い、あの機械の前で長いこと悲しい画面とにらめっこしているのはだれかって……。もうちょっと利口な子がするように、少し勉強したり、本を読んだり、散歩したり、お祈りしたり、こまっているひとをたすけてあげたりすればいいものを」
と笑って言うと、寝室のほうへひきあげていった。
おばあちゃんの言うことにも一理あると思った。でも、勉強したり、本を読んだり、お祈りをしたり……なんてたいくつだろう……。それにおばあちゃんは、ゲームセンターの中に入ったこともないんだから、あの醍醐味がわかるわけがない。
あそこには、みんなのあこがれと尊敬とねたみを一身にかっているスターがいるんだ。
“三つのちがったゲーム”でいつもトップの、かの有名なEGY(訳注:スペイン語圏では子どもに名前をつけるとき、名前のうしろに、父親、母親の順で、それぞれの最初の姓がつけられる)。これが彼のイニシャルだ。だれとも話をしないから、ほんとうの名前はだれも知らない。いつも、ニコリともせずに画面のまえで、彼の崇拝者を背後にしたがえて、その熟達したボタンさばきを見せている。
おばあちゃんは、あそこでときどき起きるあの手に汗をにぎるトップ争いのことをまったく知らない。
そして、それがちょうど、つぎの夜起こった。
ぼくはいつもの岩場から、その日もまた、でもそのときはふだんよりもずっと気落ちして、もうきっとビンカにもアミにも二度と会えないかもしれないと思いながら家へむかった。夕食後、広場のほうへ行ってみた。ゲームセンターは大さわぎだった。BURというイニシャルのかなりじょうずな子が、“大宇宙の恐怖”という、トール帝国の惑星群の惑星をいくつ破壊できるかという、この夏いちばんの人気ゲームで、いまにもEGYを追いぬく寸前だった。みんな熱狂して見ていた。そして、なんとその場に、かのEGYもいあわせていた。彼は“タイラノザウルス・空手家”という別の恐竜のゲーム(そのゲームでも一番だった)を中断して、自分の王座をおびやかしている侵入者のゲームのもようを、さいごまでしんけんに見入っていた。ついにBURは八十二の惑星を破壊して、トップにおどりでた。なんと八十二もだ!
ゲームが終わったとき、BURはまわりの子どもたちから、ほんの少しのあこがれと、いくらかのしっとのまざった静かな拠福を受けた。ただ、たったひとりの子が口に出して「すごい!」と言ったきりだった(ここでは機械の音が大きすぎて、ほとんどだれも話をしない)。そのあとで、順位をきざみこむわくわくする瞬間がおとずれた。機械についているまどが開き、二十位まで出ている中の一位のところに、彼のイニシャルがきざまれた。BURはぼくがいままでけっして手に入れたことのない名誉を手にした。でもEGYは、この屈辱にたえられなかった。この無礼者をなんとかへこまそうと、彼にすぐ、指戦状をたたきつけた。一時間以上も、たくさんのお金を使いながら(だれかが言っていたけれど、彼の家はすごいお金持ちで、彼はびっくりするくらいおこづかいをもらっているとか)、はじめのうちは調子の出なかった彼も、運がまわってきたのか、それともなにかのひらめきでもあったのか、天才なのか、ともかく、とつぜんすごいスピードで惑星を破壊しだして、いつものごとくいつものとおり、二位に大きく差をつけて一位に復帰した。なんとおどろいたことには、九十もの惑星を粉砕したんだ!
ああ……だからこそ、彼は有名で、みんなに尊敬され、一目おかれているんだ。どうして、ぼくの年をとったおばあちゃんに、このこうふんと感激が理解できようか……。
店を出て、家に帰ろうとしたとき、たまたま美しい偶然がぼくの目にとまった。機械の画面のいちばん最後のリストにA・M・Iというイニシャルが入っていた。“いったいなんていう名前なんだろう”とふしぎに感じながら、しばらくその名と姓をあれこれ想像してみたけど、そのうちイニシャルのことはきれいに忘れてしまった。
よく日、また店にもどってみると、信じられないような、どんでん返しが起こっていた。すべての機械の一位の座に、AMIというイニシャルがかがやいていた!しかも、だれにも到達できないような信じられないような格段の差をつけて……。
だれかが言っていたけれど、EGYがやってきてその点数を見たとたん、くやしさに顔をまっ赤にして、ひと言も言わずに立ち去ると、もう二度とこの店にもどってこなかったそうだ。たぶん、とても自分たちにはかなわない、ほとんどプロ級のよそ者がやってきたと思ったのだろう。店のおじさんもめいわくがっていた。なぜなら、いままでのセミプロたちが気落ちして、店にほとんど顔を出さなくなってしまうからだ。いったい、だれがあの点数をうわまわれるだろう?まだ、それほど差がないときには、挑戦のしがいもあるというものだろう。でも、今回は六倍から十倍も差がついちゃったんだ……。
そのうえ、とてもふしぎなことには、だれもこのAMIという子がゲームをしているところを見ていないのだ。ただ、きょうの朝、だれにも気がつかれないまま、機械にそのイニシャルがでていたという。
でも、ぼくにとっては少しもふしぎじゃなかった。これはアミがもどってきて、彼らしいいつものいたずらをしただけなんだ。ぼくにもどってきたことを知らせるために、アミはビデオゲームの画面に自分の名前をのこした。彼にとって、順位を変えることなどまったくわけもないことだし、もし必要なら、彼じしんがつくったあの天才的な機械で、ずっとはなれた惑星からだってそうさできるんだから。
あたりがもうまっ暗になっているのも気にせずに、ぼくは矢のように岩場にむかって走った。希望とよろこびで胸をドキドキさせながら、息をはずませて海岸にたどりついた。そして、岩をのぼり、あたりを見わたした。でも、どこにもアミのすがたも、円盤も見えなかった。前回、アミがきたときのことを思いだした。あのときアミは、ぼくに遠隔催眠をかけて、さいしょの旅でアミじしんがきさんだ、翼のはえたハートのマークが見えないはうトした。いまそれをさがしてみたら、ちゃんとそこにあった。でもその上には、とばされないように石で押さえて、一枚の紙がおいてあった。“アミからのメッセージだ”と胸がわくわくした。
そしてまさにそのとおりだった。彼らしい、いつもの誤字の混ざった文だった。
林?……ああ、松林のことだ。松林でアミが待っているんだ。
ぼくはそれを読んで、幸せな気持ちでいっぱいになった。あのすばらしい世界が、また、ぼくの中にもどってきた。ビンカ……アミ……。
でも、少ししてから、そのメッセージにおどろいた。
松林だって!いつもアミと出会う場所は、この岩場以外には考えられなかった。松林……でもよく考えてみると、まったく理想的な場所だと思った。だって、昼間、だれにも見られずに会えるところといったら、松林以外にはないんだから。
その夜、ぼくは幸せいっぱいの気持ちでベッドに入った。あと何時間かしたら、またビンカに会える。ウーン……。彼女のことをずっと考えていたら、なかなかねむりにつけなかった。彼女にもうすぐ会えると思ったら、ぼくの胸は期待でうちふるえた。それでもやっとねむりにつくと、その夜見た夢は、きのうまでとはちがって、ビンカの出てくるすばらしい夢だった。でも、その内容はプライベートなことだから、ひ-み-つ……。
つぎの朝起きると、ぼくは朝食も食べないですぐにでも、松林まで走っていこうと思った。だけどビンカに会いに連れていってくれるというアミの約束を思いだした。彼の円盤は、銀河系のどんなところにでもう一瞬に“位置”することができる。だから、ぼくは念入りにシャワーを浴び、かみを洗い、そのうえ生まれてはじめて、先週遊びにきたビクトルがおいていった香水までつけた。そしていちばんいい服を選んで着て、すぐにそのまま家をとびだそうと思っていたら、おばあちゃんがぼくのために食堂のテーブルに朝食を用意して待っていた。
「どうしたの?ペドゥリート。いったい、そんなにあわてて。それにずいぶん上きげんだね」
「ううん、なんでもないよ。だって、いい天気だからね、きょうは……」
「なに言ってんの、くもっているよ。それに少しはださむいし……」
「エッ!!ああ……」
これ以上、根ほり葉ほりさぐられてはたまらないので、ミルクをひと息に飲みほし、サンドイッチを片手に取ると、ぼくはすばやく外へ走りだした。
「ぺドゥリートの秘密……だね」
というおばあちゃんの声が、背中のほうから聞こえてきた。
【感想】
ペドゥリートはアミから教わって「自分は変わった」と言っています。知ることによって簡単に変わることもできるいい例がここにあるな、と思います。もう、知る前の自分には戻れないのだから。そう考えると、どんな情報に出会うのか、誰と時間を過ごすのか、そういった偶然とも思えることは全て必然なのだな、と改めて思います。だからと言って、何かを知ろうとしないと!と思うのは違うのです。必要な情報は必ず出会える、と信じていること。自分の感覚を信じて、情報の取捨選択をしていくことが大事だな、と思いました。
また、ペドゥリートがゲームセンターで「スター」の存在についておばあちゃんに伝えるシーンがあります。ここでは、価値観の違いや世代の違いが表れていることと、「競争」というものについて考えさせてくれています。もちろん「競争」を否定するつもりは全くありません。「競争」があるからこそ、努力を重ねられますから!
そして、なんと言っても、ペドゥリートのビンカへの想いが印象的です。ビンカのことを夢に見るほど、会いたくてたまらないその想いが「愛」を希求する気持ちと同じなのかな、と思っています。それは、本当は自分の中にあるのですけどね!他に求める方がやりやすいですから。



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