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【朗読】18)『もどってきたアミ』まえがき・アミの思い出

エンリケ・バリオス著の『もどってきたアミ』の朗読と個人的な感想です。








【文字起こし】

(漢字表記も含め全て原文のままです)


まえがき


 だれかを好きだと感じることはあっても、そのひとを「真実の愛」、「心の友」、あるいは「自分のために宇宙が選んだひと」であるかどうかなど考えることなどなく、予言者、星占い、賢人の意見にたよったり、神々に答えをもとめていませんか。

 でも言っておきますが、神々にそんな質問をしたら、きっと墓石のごとく口にきっちりふたをすることでしょう。


 もしだれかに「あのひとこそがあなたの心の友」と言われたら、その場からにげ去りましょう。なぜなら、だれが真実の愛なのかは、あなたじしんの心にしかわからないことだからです。だから、そのひとが真実の愛であるのか、うたがわしいひとがいるとすれば……そのひとはぜったいにちがいます。

なぜ、この世界ではA級の愛をさがすことが、こんなにもたいへんなのでしょう?

この世界で愛の任務を支援するのに、あなたはどんなことをしていますか?

  ブエノスアイレス、2000年春のはじめの日

  エンリケ・バリオス





“宇宙に古くからある神秘

どうして生命ってあるんだろう?

なぜ創造ってあったんだろう?


人々は必死になって頭で考え、その答えをさがそうとした。

でも見つからなかった。

どうしても見つからないので、理論をつくりあげた。

でも、古い神秘は、ただ愛によって、愛に照らされた意識によってのみ、啓示される。

子どものような素朴さと単純さという特権をとおして”


(キア星の住人、老人クラトの書いた羊皮紙の序文より)





アミの思い出


 ぼくの名前はペドゥリート・X。ほんとうの姓を明かさずに"なぞめかして"Xと書いておく理由は、もうみんな知っているはずだ。


 ぼくはまだ小学生の子どもだ。だからもちろん独身。だけど、とても有名になった一冊の本を書いた。


 『アミ小さな宇宙人』というその本は、正確に言えば、ぼくが話したことを、小説を書くのが趣味のいとこが筆記したものだ。


 ぼくのいとこビクトルは銀行ではたらいていて、時間を見つけてはぼくの家にきて、ちいさなタイプライターを打った。こうして『アミ小さな宇宙人』はできあがった。


 ビクトルはぼくのこの本のことを、子どもむけの、たんなるバカげたおとぎ話だと思っている。なぜ彼がこの仕事をひき受けたかというと、いつかそのうち"ほんとうの本"、もっとずっとまじめな本を書くときの練習になるからだという。彼が書こうとしていたのは、"知的欲求不満者の苦悶"とかいう、なんだかとてもたいくつでつまらなそうなものだった。


 でもビクトルは、この星や"UFO"やそして愛をあつかったぼくの『アミ』が成功したもんだから、こんどはさらにひろい宇宙を舞台にした小説を書こうと考えている。


 だから、ぼくがどうやって宇宙や宇宙人のことを想像したのか、とても知りたがっている。ぼくはただ自分が見たものを話しただけであって、かってに想像したことじゃないといつも言っているのに、まったく信じようとしないで、ぼくのことを、つくり話をでっちあげる名人だと言っている。でも、ぼくが『アミ』の中で語ったことには、ひとかけらのつくり話もまじっていない。


 アミは実在している。彼は宇宙のはるかかなたの遠い星からやってきた、ぼくの友だちなんだ。


 彼とは、もう夏もおわりかけたある日の夕暮れどき、人気のないさびしい海岸で出会った。


 彼はぼくの考えていることをぜんぶ見ぬくことができるし、カモメのように空をとぶことも、おとなに催眠術をかけることだってできる。


 小さくてとても10歳以上には見えないけれど、"UFO"のそうじゅうはできるし、テレビよりもずっとふくざつな機械を組み立てることもできる。


 自分のことを教師か使者のようなものだと言っていた。たぶん、ほんとうはおとななんだと思うけれど、子どものからだと心をもっているのだろう。


 彼は、ぼくを空とぶ円盤に乗せて、地球のいろんな国へほんの数秒でつれていってくれた。それから月にもつれていってくれた。月はまるでかわいたチーズをルーペで拡大して見たような不毛なところで、太陽は出ていても空はまっ黒で、いつも夜だった。だからぼくは月のことをまったく好きになれなかった。


 でも、アミはすべてを楽しんでいた。ただ肉を食べることだけをのぞいて。彼はいつも動物たちがかわいそうだと言っていた。


 そのあとで、アミはぼくをオフィルという美しい惑星につれていってくれた。それは地球の太陽より四百倍以上も大きくて、赤い太陽の近くに、ほんとうにある惑星なんだ。


 そこではお金というものが、存在しない。みなそれぞれの良心にしたがって、必要なものを必要に応じて自由にもっていったり、あたえたりしている。


 うそつきや不正をはたらくひとがひとりもいないから、警察もカギもくさりも鉄条網も鉄格子もかべもなにも必要じゃないし、めんどうな書類もない。惑星全体がひとつの国で、みな兄弟だから、軍隊も戦争もない。もちろん地球のようにいくつもの宗数によって対立することもない。神は愛であり、それがすべてだ。みんな、いつも善いことをするよう心がけて、毎日少しでも進歩するように努力して生きている。そして同時に、毎日をとても健康的にせいいっぱい楽しむことも忘れていない。そこではすべてが自由であり、ひとに強制したり、されたりということがいっさいない。


 アミは、地球の人々も、オフィルの人々のように生きることができると言った。そのためには、アミが教えてくれたこと、つまり、愛が宇宙の基本法であることを知る必要があり、すべてのひとがそれをきちんと理解できれば、そのほかのことはとてもかんたんなことだ。でもそれをしないと、地球の自滅はもうさけられないことだと言っていた。


 なぜなら科学の水準のほうが、愛の水準をはるかにうわまわってしまった文明というのは、自滅するのに必要な条件をすべて満たしているから。そしてそれがいま、地球に起きていることなんだ。だって、ぼくたちは"文明人"じゃないからね。


 アミは文明人と呼ばれるには、つぎの三つの基本的な条件を満たしていなければならないと言う。

 一つ、愛が、宇宙の基本法であることを知ること。

 二つ、国境によってバラバラに分裂している世界を、ただたったひとつの国に統一すること。

 三つ、愛が、すべての世界機構の根本となっていること。


 アミは、三つめの条件について、"家族"を例に出して説明してくれた。つまり、世界じゅうどこででも家族はみな愛によって結ばれていて、仲よくあたえ合って生きている。ほかの惑星のすべての文明世界の人々はそうやって生きているという。


 そしてまた、文明世界が集団的に未開世界とかかわりをもつことは宇宙の法で禁止されていて、未開文明の進歩・発展のためには、あの神秘的な"救済計画"にのっとり、ほんのわずかに、それをほのめかすことぐらいしかできないということも教えてくれた。


 アミはぼくに、ぼくが彼といっしょに経験したすべてのことを一冊の本に、それもほんとうのこととしてではなく、おとぎ話として書くように言った。だからぼくは彼の言ったとおり、『アミ小さな宇宙人』の中で語ったことをすべておとぎ話だということにしたんだ。いま、ここでそれをもういちどくりかえそうと思う。


 そう、ぼくはけっして宇宙人なんかと知り合いにならなかったし、もちろん進化した惑星に旅したこともない。これはすべてみな、ぼくのかってな空想であり、たんなるおとぎ話にしかすぎません……。


 もし、多くの人々がアミの言っていることはほんとうのことで、自分たちが受信している宇宙からのテレパシーのメッセージとおなじだと言っているとしたら、それはもちろんなにかの偶然です。


                                ペドゥリート・X



 あっ、それからさいごに、バラ色の世界へ行ったことを話さなければならない。そこには、もっとずうっと成長した未来のぼくじしんがいた。そして、ずうっと昔から、長いあいだ、ぼくを待ちつづけていた女の子がいた。明るい青いはだをして、日本人のような顔つきをしていた。ぼくたちはおたがいに、とても深く愛し合っているように感じたんだ。でもとつぜん、すべて消えてしまった。


 これはぼくがなんども生まれては死んで、生まれては死んでをくりかえしたあとの、ずっと先の別の人生のことだと、アミは教えてくれた。でも、それは、ずいぶんとあとになるまで、ぼくにはよく理解できなかった。


 ぼくは、おばあちゃんとふたりきりで住んでいる。毎年、夏のおわりにバカンスで海へ行くけれど、去年の夏はお金がなくて行けなかった。それはとても悲しいことだった。だって、ぼくが本を書いたら、アミはまたもどってくるって言っていたから、海へ行けば、きっと海岸でまた彼に会えると思っていたからだ。


 さいしょ、ぼくは、この体験をみんなに話したくってしかたがなかった。でも、アミもビクトルも黙っているようにと、ぼくに忠告した。そんなことを話したら、みんな、ぼくが気がふれた――じっさい、ビクトルはぼくのことをそう考えている――と思うからって。


 新学期がはじまるとぼくはそれを無視して、クラスの仲のいい友だちのひとりに、あのすばらしい物識を話した。だけど、話がまだ"UFO”のところまでいかないうちに、その友だちはとつぜん、大笑いをしはじめた。ぼくは、あわてて、いまの話はみんなじょうだんで、ちょっとからかってみただけなんだと言って、ごまかすしかなかった。


 そんなわけで、またかろうじて以前のように、ふつうの子どもでいられるというわけだ。

 だから、ぼくは、どうしても自分の正体をはっきりと明かすわけにはいかないんだ。



【感想】

 1冊目である『アミ 小さな宇宙人』に続く2冊目『もどってきたアミ』。

 

 「まえがき」のエンリケ・バリオスさんの言葉が胸に響きます。特に「だれが真実の愛なのかは、あなたじしんの心にしかわからないことだからです。」というところです。こう言われても誰を・何を信じたらいいかわからない💦と不安になる気持ちもあるでしょう。そんなときこそ、「自分の内なる声」(直感)を信じるといいのだと思うのです。その「自分の内なる声」を聴くのはある日突然できるようになるのではないと思っています。日々の生活の中で、自分で継続的に意識していくことが大切ではないでしょうか?


 日常的に都会の粗い波動の中にいると、雑音が多すぎて「自分の内なる声」を聴くのは難しいかもしれません。そんなときは、自然の中に身を置きませんか?自然の持つ力は偉大です。


 「アミの思い出」ではアミが地球を離れた後のペドゥリートの気持ちを知ることができて、とっても嬉しかったです。ペドゥリートも苦労しながら、今現在は地球で上手く暮らしているんだな、と知ることができ、安心したからです。そして、ここでもエンリケ・バリオスさんの言葉を改めてかみしめます。


「この世界で愛の任務を支援するのに、あなたはどんなことをしていますか?」



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