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【朗読】15)『アミ 小さな宇宙人』第13章 万物を生み出すエネルギー

エンリケ・バリオス著の『アミ小さな宇宙人』の朗読と個人的な感想です。







【文字起こし】(漢字表記も含め全て原文のままです)



第13章 万物を生み出すエネルギー

 

 「ペドゥリート、どうしても好きになれない、愛せないひとがいるって言ってたね」

 「うん」

 「愛せないって、悪いこと?」

 「うん」

 「どうして?」

 「だってきみが、愛は法で、それが最高のものだって言っていたから」

 「いま、ぼくの言ったことは忘れて、たとえばぼくがきみをだましていたとか、まちがっていたとか仮定して、愛のぜんぜんない世界を想像してごらん」


 アミにそう言われて、だれもまったく愛し合わない、愛のない世界を頭の中に描きはじめた。人々はみな、冷たく、おたがいを信じ合わず、自己中心主義だ。愛がないからエゴに対するブレーキもない。すべてみな、自分以外は敵であり、おたがいにボロボロになるまで傷つけ合う……。

 アミの言っていた、大宇宙の大さいなんをひき起こしかねないエネルギーのことを思い出した。傷ついたエゴの自殺願望者がやけになり、ただ復讐のために"ボタン"を押す……宇宙が連鎖反応的に爆発してゆく……。


 「もし、愛というものがまったく存在していないとしたら、宇宙はありえないかもしれない」

  と推測して言った。

 「じゃ、愛がすべてを創造し、反対に、愛の欠けたところには破壊しかありえないということ?」

 「うん、そう思う」

 そういう結論に達してしまったので、そう言った。

 「宇宙は、だれがつくったの?」

 「神がつくった」

 「じゃ愛が宇宙をつくり、神が宇宙をつくったのだとしたら、神に愛があると思う?」

 「もちろん!」

 愛によって星や銀河や大宇宙を創造した、きらきらとかがやいた人間のかたちをしたすばらしい神のイメージが浮かびあがってきた……。

 「ひげはなるべく取るようにね」とアミが笑って言った。

 たしかにこんどもまた、ひげをはやした人間の顔をした神であったけど、もう、くもの上でなく、大宇宙の中心にいる神だった。

 「じゃ、神はたくさんの愛をもっているということが言える?……」

 「もちろん、だから憎しみや破壊をきらうんだ……」

 「うん。じゃ、神は宇宙をなんのためにつくったの?」

 しばらく考えてみたけれど、わからなかったので抗議して言った。

 「アミ、ちょっとその質問に答えるには、ぼく、まだ小さすぎると思うけどね」

 アミは、ぼくの抗議にとりあおうともせずにつづけて言った。

 「どうしてきみのおばあちゃんに、その"クルミ"をもっていってあげたいの?」

 「きっと、おばあちゃん、食べたらおいしいって言うからね」

 「おばあちゃんの口に合ったら、いいと思うわけ?」

 「もちろん」

 「どうして?」

 「きっと気に入って……よろこんでくれるから……」

 「どうして、おばあちゃんによろこんでもらいたいの?」

 「だって、おばあちゃんのこと、愛しているもん」

 とつぜん、愛の別の性格として、自分の愛しているひとの幸福を願うという気持ちがあるということに気がつき、自分でもおどろいた。

 「だから、"クルミ"が気に入ってくれて、よろこんでくれて、幸せに感じてくれるように?」

 「うん、そのとおりだよ」

 「神はなんのためにひとや風景や世界やそのほか、味覚とか臭覚とか色をつくったの?」

 「ぼくたちが幸せになるように!」

 といままで知らなかったことがまたひとつわかって、よろこんで言った。

 「そのとおりだ。じゃ神はぼくたちを愛している?」

 「もちろん、とてもぼくたちを愛している」

 「じゃ、神が愛しているなら、ぼくたちもすべてを愛すべきじゃない?それとも……」

 「もちろん、神も愛しているから、ぼくたちも……」

 「かんぺきだ。じゃ、愛よりも、もっとすぐれたものがあると思う?」

 「きみが、それがいちばん重要なものだって言ったけど……」

 「でも、ぼくが言ったことはみんな忘れるようにとも言ったよ。ひとによっては、思考のほうが愛よりも、上に位置していると考えている。その"クルミ"をおばあちゃんにあげるのにどうするの?」 

 「どうやっておどろかしてやるか考えるね」

 「そのためにきみは頭を使うだろう。ちがうかい?」

 「もちろん、そのためのプランを練るよ」

 「だったら、きみの頭は、きみの愛のために役立たせるの?それとも、その反対?」

 「よくわかんないな」

 「きみのおばあちゃんが、幸せになるようにと願うもとは、きみの愛なの?それとも思考なの?」

 「ぼくの愛だよ!そこからすべてが生まれている」

 「“そこからすべてが生まれている”。まったくそのとおりだよ。だからさいしょに愛して、そのつぎにきみのおばあちゃんが幸せになるように、きみの頭を使うわけだね。ペドゥリート」

 「そのとおりだよ。ぼくの頭をぼくの愛のために使うんだ。まず、さいしょに愛があるんだ」

 「じゃ、愛の上には、なにがあるの?」

 「なにもない?」

 「なにもない」

 アミは、かがやいたまなざしを、ぼくにむけて言った。

 「もし、神がたくさんの愛をもっていることが立証できたとしたら、神っていったいなんだろう?」

 「知らない」

 「もし、愛よりも、なにかすぐれたものがあったとしたら、それは神のはずだろう?」

 「うん、そう思う」

 「愛よりも、偉大なものってなーに?」

 「わからない……」

 「愛の上になにがあるって話したっけ?」

 「なにもないって」

 「じゃ、神ってなんなのか?」

 「あ!“神は愛だ!”きみはなんども言っていたし、聖書にもそう書いてある。でもぼくは、神って、たくさんの愛をもった人間のようなものを想像していたよ……」

 「愛をたくさんもった人間なんかじゃない。神は愛そのものなんだ。愛が神なんだよ」

 「アミ、ぼく、ちょっと、わかんない」

 「きみに前に言ったけど、愛は力であり、振動であり、エネルギーであって、それらの量は、たとえば、"センソ・メトロ(感覚計)"のような器械で、測定することができるって言ったのおぼえているね」

 「うん、おぼえている」

 「光もまた、おなじように、エネルギーであり、振動なんだよ」

 「ほんとうに?」

 「うん。X線も、赤外線も、紫外線も、そして思考も、みな異なった周波の“おなじもの”の振動なんだよ。周波が高けりゃ高いほど、物質やエネルギーがよりせんさいになる。石と思考は、異なった周波の“おなじもの”が振動したものなんだよ……」

 「ふ~ん。で、その"おなじもの"って、いったいなんなの?」

 「愛だよ」

 「ほんとうに?」

 「そうだよ。みな、すべて愛なんだ。すべてが神なんだよ……」

 「じゃ、神は宇宙を純粋な愛でつくったの?」

 「神が"つくった"というのは、ひとつの表現であって、じっさいには神が、宇宙や、石や、きみや、ぼくや、星や、くもに“変化する”ことなんだよ……」

 「ということは……ぼくも神っていうこと?」

 アミはやさしく笑って、こう言った。

 「海のひとしずくが、たとえおなじ物質でできていたとしても、海だとは言えないだろう。きみは神とおなじ物質からできている。きみは愛なんだよ。進歩が少しずつ、われわれの真のアイデンティティである"愛"を認識させていくよ」

 「じゃ、ぼくも愛なの?……」

 「とうぜんだよ。自分じしんのこと、さし示してごらん」

 「よくわかんない、アミ」

 「"ぼく"と自分のことを言うとき、自分のからだのどの部分を指さして言っている?“自分”と言って指さしてごらん」

 自然に胸の中心を指さして"ぼく"と言っているのに気がついた。


 「どうして、たとえば、おなかやのどやひたいを、ささないのかな?」

 胸以外のところをさしているのを想像したら、とてもこっけいに感じた。

 「自分でも、どうして胸を指さしたかわからないや」

 「なぜならね、そこに、ほんとうのきみがいるんだよ。きみは愛だ。そしてそのハートの中に、きみの住まいがあるんだよ。きみの頭は、たとえば、一種の潜水艦の“潜望鏡”のようなもので、きみに――(と言ってぼくの胸をさして)――外のようすを知覚させる役目を果たしている。その"潜望鏡"と内部にある"コンピューター"である頭脳のおかげで、ものごとを理解したり、生命機能を司ったり、手足は、ものを取りあつかったり、からだを移動させたり、でもきみじしんはここにいるんだ。――(ふたたびぼくの胸を指さした)――きみは愛だ。だから、どんなことでも愛に反したおこないは、きみじしんに反したおこないになり、愛である神に反したことにもなるんだよ。だからこそ、宇宙の基本法は愛であり、愛が人間の最高位のもので神の名を"愛"と言うんだ。宇宙の宗教とはまさに、愛を感じることであり、愛をささげること。これにつきるんだよ。これがぼくの宗教なんだよ。ペドゥリート」


 「いま、やっと、はっきりわかったよ、アミ。どうもありがとう」

 「かんしゃは、"生命の木"の十二の"くだもの"のうちのひとつだ」

 「どうして、"生命の木"って言うの?」

 「愛からすべてのいのちがたんじょうするからさ。“愛し合う”ってこと……聞いたことない?」

 「うん、聞いている。で、その十二のくだものって、いったいなんなの?」

 「真実、自由、公正、知恵、美が、それらの中にふくまれている。そのほかのものも自分で少しずつ発見していくようにね。そして、それを実行するように心がけることだ」

 「ウッワ!……なかなかやさしいことじゃないね」

 「ペドゥリート。だれもきみにかんぺきさなんか求めていないよ。もっとずっと進化した、たとえば、太陽のひとたちにだってそんなこと、要求できっこない……ただ、神のみがかんぺきなんだ。かんぺきで純粋な愛そのものだ。それにくらべたら、ぼくたちはたんなる神聖な愛の火花にすぎない。だから、その純粋な愛そのものに少しでも近づくようにつとめるべきなんだ。自分じしんになること、これがゆいいつ、ぼくたちが自由を手に入れる道であり、それ以外の自由なんてありえないんだよ」


 まどの外が、バラ色になった。

 「ついたよ。ペドゥリート、見てごらん。まどのそ…………」

 円盤の中は、やわらかいバラ色――というよりも、明るいリラ色に染まった。とても、うやうやしいあらたまった気持ちで、心がいっぱいになった。 

 ぼくの頭が現実からはなれ、どのようにして意識が変化していったかを説明するのはとてもむずかしい。ほくは自分じしんがたんにいまの、つまり、地球の子どもペドロというよりも、もっと、それ以上のなにかに思えてきた。ぼくにとってあの世界、あの瞬間は、まったく未知のことでなく、もう以前に、なんらかの形で住んだことのある、知っている世界のように感じられた。アミも円盤もすべて消えうせ、ぼくひとりきり、はるか遠いところからたどりつきつつあるあの瞬間……長いあいだ待ち望んでいたあの出会い……。


 ぼくは、バラ色にかがやいたくものあいだから、ゆっくりと浮かんだまま下降していった。太陽はひとつもなく、すべてがおだやかすぎるくらいだった。

 牧歌的な風景があらわれ、白鳥によく似た鳥がバラ色の沼の上を静かに舞い、リラ色の空はすべてを染めていた。沼のほとりには、みどりやオレンジや黄色みがかったピンクなどの異なったトーンの草やい草がはえ、遠くの丘を小さな宝石のようにかがやいた、さまざまな色調をした木立ちや花がおおっていた。そして、くもはバラ色からリラ色へと、びみょうに色調の変化を見せていた。


 この風景の中にぼくがいたのか、それとも風景がぼくの中にあったのか•••••ひょっとすると、ふたつが一体になっていたのかもしれない。でもいまでもいちばんおどろいていることそれは、草花が、“歌を歌っていた!”ことだった……。


 いくつかの花や草がよこにゆれながら、その動きに合わせて調べを奏でている。別の花は異なった動きをしながら、ちがったメロディーを奏でている。あの植物たちはちゃんと意識をもっていて、ぼくのまわりや近くの丘を、歌ったり、ゆれたりしていて、かつていちども聞いたことがないほどのみごとなコンサートをつくりあげていた。あれはすべて完全に意識されたハーモニーだった。


 水ぎわの上を浮かびながら通りすぎた。何羽ものヒナをつれた上品な白鳥の夫婦が、敬愛のまなざしでぼくを見て、長い首を優雅に曲げてお辞儀した。ぼくも軽くだけれど、とても親愛の情をこめて会釈した。両親がたぶん、テレパシーかなにかで合図したのだろう。子どもたちにもぼくにあいさつするように命じたようだ。ヒナたちも親の言うとおり首を曲げてぼくにあいさつした。とはいっても、親のように上品でも優雅でもなく、いっしゅん、バランスをくずしたもののすぐ均衡を取りもどし、まるで一人前のように気負って、親のあとにつづいていった。それは、ぼくになんともいえない、とてもやさしい気持ちを起こさせた。ぼくもわざと大げさにかしこまり、でも愛情をこめたあいさつを送った。


 定められた出会いの場にむかい、ゆらゆら浮きながら前進した。永遠の時から定められた出会い――“彼女”との出会い。


 遠くの岸辺に東洋風の仏塔のような、つるだなのようなものが、浮かんで見えてきた。日本風の屋根をしていて、それを何本もの細竹がささえていて、そこをつる草の青い花とバラ色の葉が、一面をおおってかべをつくっていた。黒くみがかれた木の床の上には、太い縞模様のざぶとんがおいてあり、天井からは、小さな鈴虫籠と金かブロンズでできた香入れとが、ぶらさがっていた。


 ざぶとんの上にすわった"彼女"が、いた。とても身に、かぎりなく身近に感じた。にもかかわらず、あれが、はじめての出会いだった……。

 おたがいに、まだ、目は見合わせずに、ただただこのさいしょの出会いの瞬間が、少しでも長くつづくことだけを祈った。なにもいそぐ必要はなかった……なぜなら、この出会いを、何千年もの長いあいだ待ちつづけていたのだから……。


 彼女にむかっておじぎをした。彼女も上品にぼくにおじぎした。中に入って会話をはじめた。でも、その会話は、言葉を通してではなく、デリケートな手や指のわずかな動きとテレパシーを通しての感情伝達から成り立っていた。もし、言葉を通してだとしたら、それはあまりにも俗っぽすぎたろうし、熱望してやまなかったあの出会い、あの世界には、あまりにも不調和だったろう。ぼくたちの愛は、言葉の会話ではじゅうぶんでなく、もっと別のコミュニケーションのかたちを求めていた……。


 ついにまだ見ぬ彼女の顔を見る瞬間がきた……明るい青いはだをした、美しい東洋人の容貌をしていた。黒いかみは、まん中から左右に分けてあり、ひたいの中央にほくろがひとつあった。彼女にかぎりない愛を感じた。彼女のほうにとってもおなじことであった。やがて、クライマックスの瞬間が、やってきた。

 ぼくは手をのばし、彼女の手に触れようとした。とたん……すべてが消え去った……。


 ぼくは円盤の中でアミのそばにいた。白くかがやいたくもは、いまいた世界から遠く立ち去っていることを示していた。

 「(まどのそ)………………とを、見てごらん。

 ああ

 もう

 もどってきたね」

 とアミが言った。


 まどの外がバラ色になって、アミが“まどのそと”と言った“そ”と“と”のあいだのいっしゅんに起こったことだということに気がついた。まるで、あまい夢からきゅうに目ざめて、色あせた現実に直面して、当惑しているような不快さを感じた。それとも反対に、いまが夢で、あれが現実だったのだろうか?


 「もどりたい!!」

 アミがざんこくにも彼女からひきはなしたんだ。そんなことしちゃダメだ。まだ現実にもどりきってない自分の上に、さっきの自分が重なっている。一方では、九歳の子どものペドロであり、もう一方では、別の次元のなにか……。

 でもどうしていまよく思い出せないんだろう?


「いずれもどれるよ」

 アミのやさしくておだやかなたいどが、ぼくを落ちつかせた。

「いまはまだだけど、いつかもどれるときがくるよ……」


 やっと落ちつきを取りもどしてきた。あの“なにもいそぐ必要のなかった”感覚を思い出した。また、もどれるということがほんとうであるということに気がついて、ホッとした。少しずつ少しずつ、ふだんの自分にもどっていった。でも、もう別の次元の本来の自分のすがたをほのかに見てしまった以上、けっして以前とおなじ自分にもどることはできなかった。ぼくはペドロだ。でも、それは一時的であって、もう一方では、ずっとペドロ以上のなにかだった……。

 「ぼくはどの世界にいたの、アミ?」

 「時間と空間の外に位置している世界……いまのきみにとっては、まったく別の次元の世界だよ」

 「ぼくはたしかに、そこにいたんだけど、いつもの自分とはちがっていた。なにか“別の”……もっと……」

 「ある限界まで進歩をとげてしまった、おおよそ、2000度くらいの状態のきみの未来のすがたをかいま見てしまったんだよ」

 「で、それは、いつのこと?」

 「なんども生まれては死んだ、ずっとあとの、別の人生のことだよ……」

 「どうして、未来を見ることができたの?」

 「すべて書かれているんだよ。もう、すでに書かれているんだよ、“神の小説”にはね。ただ、何ページか先を、とばして読んでしまった、それだけのことだよ。死んでしまえばすべてが終わりだという考えを、最終的に捨てるための小さな刺説が必要だったんだ。ほかのひとにもわかるように、きみがそれを書くようにするためにね」

 「あの女の子はだれなの?いまでもぼくたちは、とても愛し合っているように感じているけれど」

 「神(愛)がきみのそばに、彼女がいるチャンスを、なんどもあたえるだろう。ときには、彼女とわかるだろうし、ときにはわからないだろう。すべてきみの“胸の脳”しだいだよ。ひとつのたましいには、ほかに決められた別のたましいがあるんだよ。ひとつのたましいだけでは、"半分"にしかすぎないんだよ」

 「青いはだを、していたよ!」

 「きみだって、そうだったよ。ただ、鏡にうつして見なかったからわからなかっただけのことさ」

 とアミは、ぼくを見て笑って言った。

 「じゃ、いまでも青いの?」と自分の手を、不安な気持ちで見た。

 「もちろん、もう青くなんかない。彼女だっておなじことだよ……」

 「彼女はいま、どこにいるの?」

 「きみの住んでいる世界にいるよ……」

 「つれていって、彼女に会いたいよ!」

 「どうやって彼女のこと、思い出せるんだい?」

 「日本人の顔つきをしていた……顔ははっきりと思い出せないけど……ひたいにほくろがあってね……」

 「さっきも言ったように、もう彼女はそうじゃないんだよ。いまはごくふつうのありふれた女の子にすぎないんだよ」

 「アミ、きみは彼女のこと知っているの?だれだか知っているの?」

 「そういそぎなさんな。ペドゥリート。忍耐は平和の科学、内面の平和ということを忘れないでね……おどろきのプレゼントをときがくる前に、あけようとしたってダメだ。いずれ人生がみちびいていってくれるよ……神はいつも、すべてのできごとの背後にいるんだよ……」

 「どうやったら、彼女だってわかるの?」

 「頭でも、分析でもない。ただきみのハート、愛を通してのみわかることだよ」

 「でも、どうやって?」

 「つねに自分じしんを観察してみればいい。とくに、ひとと知り合ったときにね。でも、外面の容姿と内面とを、取りちがえないようにね……もうあまり時間がのこっていない。きみのおばあちゃんはもうすぐ目をさますよ。帰らなければならない」

 「アミ、いつ、また、もどってくる?」

 「まず、本を書かなくちゃ、そうしたらかならず、また、もどってくるよ」

 「“日本の女の子”のことも書くの?」

 「すべて書くんだ。でも、おとぎ話だっていうことを書き忘れないようにね」




【感想】

 この章ではとうとう「愛」とは何か、ということをアミが説明してくれています。

「神は愛そのもの」であり、「愛が神」なのです。そして愛は力であり、振動であり、エネルギーであって光もX線も、赤外線も、紫外線も、そして思考も"おなじもの”なのですって。その“おなじもの”が愛なんです。そして、それが神なのです。だから、人間も神であり、愛なのです。


 これは真実なのだと思いました。なぜなら、この部分を読んでいるとき、涙があふれそうになってきたからです。涙が出る、それはわたしの中の「愛」が反応しているのだと信じているからです。


 アミは言います。

「自分じしんになること、これがゆいいつ、ぼくたちが自由を手に入れる道であり、それ以外の自由なんてありえないんだよ」

 自分らしさってなに?とそれを探求すること、自分を知ること、それをやっていくのが人生ですね。それを「道」と呼ぶのでしょう。柔らの道、茶の道、華の道、剣の道、、、日本にはたくさんの道があります。昔の人は自分にあった道を見つけて、その道すがらで「自分」を知って行ったのだと思います。


 作者のエンリケ・バリオスさんは南米のチリの人ですが、この小説に「日本の女の子」が出てくるなんて!これはどういう意味なのでしょう?ワクワクします。


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