
こんにちは!
フィーロジストの石田ゆみこです。
2025年最初のおでかけで鹿児島に行って参りました✨
鹿児島に行きたいと思ったきっかけは「霧島神宮」と「西郷隆盛さん縁の地」に行きたい、と思ったからです。
「おでかけ」では2024年には「香取神宮」「鹿島神宮」「幣立神宮」とずっと神宮をお詣りすることが続いていました。
「神宮」とは?と思われるかもしれません。
神宮とは天皇の先祖(皇祖)や天皇をお祀りしている神社のことです。
全国に約8万ある神社の中で、「神宮」は20弱しかありません。
せっかくなので、ご縁のある土地に「神宮」があるなら、そこに行きたいと思いました。
そして、今回の旅で感じたことを2つ共有させていただきます☺️
まず、一つ目。
初日に「狭野神社」と「霧島神宮」に行き、空気感が全く違うことに気づきました。


私はいつも神社に参拝する際、その場の空気感に同調することを心掛けています。
今回は、空気感の違い、どの空気感が好きかや今の自分に合うかを感じることが自分の感性を育てることに繋がっているということに気づきました。
いい悪いではなく、好きか嫌いか合うか合わないか。
それが自分の感覚を信じる練習になる!!、と改めて思いました。

そして、二つ目です。
鹿児島市内の西郷さんの縁の地として訪れたのは、城山の西郷洞窟です。
西南戦争で西郷さんが最後まで陣頭指揮をとった場所と言われています。

この場所に来て、西郷さんのお気持ちを想像する最中、直感的に感じた言葉は「慈愛」でした。
西郷さんが西郷さんを慕って全国から来た私学校の方々に抱いていた想い、
西郷さんが願って止まなかったであろう日本という国の未来への想い、
産まれ故郷である薩摩への想い、
などなど。
この場所で、きっと死への覚悟とともに「慈愛」に満ちておられたのだと想像しました。
西郷さんは幼い頃からたくさんの不遇に遭われました。
それでもそれらを受け入れて生きておられました。
・こどもの頃に同級生が西郷さんに刀を振りかざし、右手が使えなくなったこと
・月照さんを殺せという藩の命令を受けて絶望し、月照さんと心中したけど自分だけ助かったこと
・奄美大島で潜居せざるを得なかったこと
・濡れ衣を着せられて沖永良部島に流され、罪人として生活したこと
・明治政府の閣僚となり、朝鮮との和合のために尽くしたけど、最後の最後で決議で反対されたこと
・元士族の人たちの未来のために学校を作って教えていたが、元士族たちと政府軍が戦う道筋に入ってしまったこと
私が知っているだけでも、これだけの不遇に遭っています。
これらを受け入れるのは簡単ではなかったと思いますが、どこまでも平和を愛し加害者も被害者も作らない世界を目指したのだと信じています。
そんな西郷さんは「慈愛」の人だったのだと感じました。
西郷さんが生まれ育った鹿児島はわたしにとって、特別な場所です。
おでかけにご一緒くださった皆さまのおかげで、これらの気づきが得られたことは間違いなく、本当に感謝しておりますし、やっぱり旅っていいな、と思いました。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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