【朗読】『星の王子さま』(1)
- 学 心響
- 4 日前
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サン=テグジュペリ作『星の王子さま』の朗読と個人的な感想です。
レオン・ウェルトに
わたしは、この本を、あるおとなの人にささげたが、子どもたちには、すまないと思う。でも、それには、ちゃんとした言いわけがある。そのおとなの人は、わたしにとって、第一の親友だからである。もう一つ、言いわけがある。
そのおとなの人は、子どもの本でも、なんでも、わかる人だからである。いや、もう一つ言いわけがある。そのおとなの人は、いまフランスに住んでいて、ひもじい思いや、寒い思いをしている人だからである。どうしてもなぐさめなければならない人だからである。こんな言いわけをしても、まだ、たりないなら、そのおとなの人は、むかし、いちどは子どもだったのだから、わたしは、その子どもに、この本をささげたいと思う。おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)そこで、わたしは、わたしの献辞を、こう書きあらためる。
子どもだったころのレオン・ウェルトに
1
六つのとき、原始林のことを書いた「ほんとうにあった話」という、本の中で、すばらしい絵を見たことがあります。それは、一ぴきのけものを、のみこもうとしている、ウワバミの絵でした。これが、その絵のうつしです。

その本には、「ウワバミというものは、そのえじきをかまずに、まるごと、ペロリとのみこむ。すると、もう動けなくなって、半年のあいだ、ねむっているが、そのあいだに、のみこんだけものが、腹のなかでこなれるのである」と書いてありました。
ぼくは、それを読んで、ジャングルのなかでは、いったい、どんなことがおこるのだろうと、いろいろ考えてみました。そして、そのあげく、こんどは、色エンピツで、ぼくのはじめての絵を、しゅびよくかきあげました。ぼくの絵の第一号です。それは、まえのページのようなのでした。

ぼくは、鼻たかだかと、その絵をおとなの人たちに見せて、「これ、こわくない?」とききました。
すると、おとなの人たちは「ぼうしが、なんでこわいものか」といいました。
ぼくのかいたのは、ぼうしではありません。ゾウをこなしているウワバミの絵でした。おとなの人たちに、そういわれて、こんどは、これなら、なるほどとわかってくれるだろう、と思って、ウワバミのなかみをかいてみました。おとなの人ってものは、よくわけを話してやらないと、わからないのです。ぼくの第二号の絵は、上のようなのでした。

すると、おとなの人たちは、外がわをかこうと、内がわをかこうと、ウワバミの絵なんかはやめにして、地理と歴史と算数と文法に精をだしなさい、といいました。ぼくが、六つのときに、絵かきになることを思いきったのは、そういうわけからでした。ほんとに、すばらしい仕事ですけれど、それでも、ふっつりとやめにしました。第一号の絵も、第二号の絵も、うまくゆかなかったので、ぼくは、がっかりしたのです。おとなの人たちときたら、じぶんたちだけでは、なに一つわからないのです。しじゅう、これはこうだと説明しなければならないようだと、子どもは、くたびれてしまうんですがね。
そこで、ぼくは、しかたなしに、べつに職をえらんで、飛行機の操縦をおぼえました。そして、世界じゅうを、たいてい、どこも飛びあるきました。なるほど、地理は、たいそうぼくの役にたちました。ぼくは、ひと目で、中国とアリゾナ州の見わけがつきました。夜、どこを飛んでいるか、わからなくなるときなんか、そういう勉強は、たいへんためになります。
ぼくは、そんなことで、そうこうしているうちに、たくさんのえらい人たちと、あきるほど近づきになりました。思うぞんぶん、おとなたちのあいだで、暮らしました。おとなたちのようすを、すぐそばで見ました。でも、ぼくの考えは、たいしてかわりませんでした。
どうやらものわかりのよさそうな人に出くわすと、ぼくは、いつも手もとに持っている第一号の絵を、その人に見せました。ほんとうにもののわかる人かどうか、知りたかったのです。ところが、その人の返事は、いつも、「そいつぁ、ぼうしだ」でした。そこで、ぼくは、ウワバミの話も、原始林の話も、星の話もやめにして、その人のわかりそうなことに話をかえました。つまり、ブリッジ遊びや、ゴルフや、政治や、ネクタイの話をしたのです。すると、そのおとなは、「こいつあ、ものわかりのよい人間だ」といって、たいそう満足するのでした。
【感想】
『星の王子さま』は1943年にアメリカで出版されました。実に83年も前のことです。その頃から語り継がれているお話しで、わたしはそこにあるひとつの「真実」があると考えています。この小説は決して子ども向けのものではないと思います。これを読んだ方は、子どもの頃から持っていたはずの何かを思い出させてもらえる、そんなイメージです。
わたしが初めてこの本を読んだのは確か小学生の頃だと記憶していますが、「(ゾウとウワバミの絵)を見て、「帽子」だという大人にはなりたくない!」と強く思ったことを鮮明に覚えています。残念ながら、わたしはこの絵を見て「帽子」だという大人になってしまいましたが、この本を読むことで、また作者の言う「子ども」の視点を取り戻せたらいいな、と願っています。
冒頭の文章にもある「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)」この言葉を少しでも取り戻していくことが、これからの未来を子どもたちと共に創っていく「おとな」の責務ではないでしょうか?
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